技術の見えない化
見える化というのが一時期はやっていたが、最近技術の見えない化というのが起こっていると思う。
ある製品をディスコンにしようと思うと、「いや、まってくれ!」ということがある。
その製品まだ使っているというのだが、もう古い型番だし、技術的にももっといいものがあるよと進めておく。
すると、「新製品を開発しなきゃいかんし、当時の技術者がもういなくて、それを使っている製品の中身が誰にもわからない。」という。
そりゃ確かに困るわな・・・。
・無駄にOJTやってる場合じゃない
OJTといえば聞こえはいいが、あまり機能していないのも多いのも事実。
何も新入社員ばかりに必要なものではないはずでしょ。
教育って、後継者を育てるため、今までの知識を受け継いでいってもらい、新たなものに活用していってもらう。
そのサイクルができないのなら、教育は意味をなしていない。
すぐに結果が出るものを詰め込んできた結果、中身のブラックボックス化、空洞化というのが進んでしまって、気が付いたら取り返しがつかないところに来ている。
・最近はノーベル賞に賑わっているが・・・
以前から日本の論文数は、質・量ともに低下してきたといわれていて、実際にそうなっているようだ。
これの一般企業板が技術の見えない化ではないかと思っている。
学術の分野は成果が問われることが常で、そのため流行や成果の出やすいものに走りやすい。
その結果根幹的な部分がないがしろにされて、発展性の少ないものが減ってきたのではないだろうか。
その結果論文数の減少、質の低下というのがあったのではないだろうか?
「いや、最近は毎年のようにノーベル賞受賞してるし」というかもしれない。
しかし、ノーベル賞の受賞はだいたい10年以上前の研究が当てはまる。
今現在の最先端ではない。
そう考えると、将来的にノーベル賞受賞者も減っていくだろう。
・もうちょっと現場の人を増やしてほしい
時間に追われる日々が多いなか、やることが多いのも事実。
その分人を増やして仕事を分担してくれれば、技術の見えない化なんて起きないと思う。
しっかりと時間をかけて、中身の理解できる研修・研究・開発。
小人数だ最大の効率を求めるのではなく、余剰人員をある程度確保して余裕のある仕事を。
そうすればもっといいものが出来てくると思う。
まぁ、すぐには無理かな。